(文責:佐藤賢紀/AsiaWise法律事務所弁護士)
1. はじめに
インドでビジネスを行う日本企業を悩ませる大きな問題の一つに、現地従業員による不正が挙げられます。現地従業員が取引先からキックバックを受け取っていた、経費を水増し請求していた、親族の会社を選定して取引を行っていた等、その例は枚挙に暇がありません。
新型コロナウイルスの流行を受け、日系企業では多数の現地駐在員が日本に帰国することとなり、現地での監視が難しくなりました。近時はある程度戻りつつあるものの、リモートワークの普及もあり、現地の従業員に対する管理監督は、より一層困難となっています。実際、現地駐在員の帰国中に行われた不正に関する相談も増え始めており、今後も不正事例は増加する可能性が高いものと思われます。
従業員の不正行為が確認された場合、会社としては、①雇用契約上の責任追及(社内処分)、②刑事責任の追及、③民事責任の追及、の3つをそれぞれ検討することとなります。本稿では、不正が明らかとなった場合、①~③の観点から、会社としてはそれぞれ何を検討し判断しなければならないのかについて、解説します。
2. ①雇用契約上の責任追及(社内処分)について
(1) まず、①雇用契約上の責任追及については、雇用契約及び就業規則等の社内規程に基づき、当該従業員に対してどのような社内処分を下すかを判断することが必要となります。不正の事実が確認できたからといって、すぐに解雇ができるとは限りません。会社として認定した事実が、雇用契約や就業規則のどの条項に違反しているのか、また、そのルール違反に対し、どのような処分を行いうるのか、さらに、処分の際にどのような手続きを踏む必要があるのかについて、各種社内規程を確認する必要があります。例えば、社内処分としては、懲戒解雇だけではなく、戒告や出勤停止といった処分が規定されている場合があります。手続きについても、就業規則上、懲戒処分のためには懲戒委員会を開く必要があると定めている会社もあります。インドにおける雇用契約や就業規則は、会社ごとの違いが日本よりも顕著なので、よく確認しておくことをお勧めします。
(2) 検討の結果、懲戒解雇が可能と判断される場合であっても、当該従業員を退職させる方法としては以下のような選択肢がありますので、それぞれのメリット・デメリットも併せてご説明します。
ア 懲戒解雇
解雇に足りるだけの懲戒事由がある場合、本来会社が行うべき対応としては懲戒解雇となります。適切な対応を行うという意味で、この点が大きなメリットといえます。
また、インドでは、特定の従業員に対する処分であってもすぐに社内で情報が伝わることが多いので、他の従業員に対し、会社としての厳しい姿勢を見せることができるという利点もあります。さらに、社内規則にもよりますが、退職金等について、支払わないことが可能となる場合もあります。
他方、デメリットとしては、当該従業員が、懲戒解雇の適法性について争ってくる可能性があるという点が挙げられます。そのため、会社としては、将来の紛争に備え、十分な証拠を準備しておくことが必要です。同様に、懲戒処分のための手続きについても適切に履行する必要があります。
イ 普通解雇
懲戒事由の有無に関わらず、契約書の条項に基づいて解雇を行うという方法もあります。この解雇は契約に基づいて行うものですので、契約書に、理由の無い契約解除の条項があることが前提となります。また、当該従業員がワークマンに該当する場合には、契約書の条項にかかわらず、産業紛争法(Industrial Dispute Act,1947)等の労働法令に従うことが必要になります *1。
この解雇を行うメリットとしては、会社として、懲戒事由を主張立証する必要がなく、紛争が生じる可能性を低くすることができるという点があります。契約書の条項によりますが、1~2ヶ月前の解雇予告又は解雇予告手当の支払いで足りるとされていることが多く、解雇のための手続も容易です。
他方、デメリットとしては、契約終了までの給与の支払い、退職金の支給等は通常通り行う必要が生じます。他の従業員に対する牽制効果も、懲戒解雇よりは弱くなります。
ウ 自主退職の勧奨
さらには、自主退職を促すという方法もあります。これは、会社が、当該従業員に対し、自己の意思に基づいて退職することを勧め、退職してもらう方法です。
この方法は、会社が一方的に解雇するものではなく、当該従業員が自己の意思に基づいて退職することになるため、後に紛争になりにくいというメリットがあります。当該従業員にとっても、社内に自主退職という記録が残ることにより、後の再就職に不利にならないというメリットがあります。
デメリットとしては、必ずしも全ての事例で可能となるものではなく、当該従業員の意思によることになるという点です。単に自主退職を勧奨するだけでは従業員側が応じる可能性は低く、当該従業員自身に、退職せざるを得ないと思わせる事由があることが必要です。また、他の従業員に対して会社の厳格な姿勢を示すことにはなりません。この場合には、別途現社員向けに、コンプライアンス遵守のためのメッセージを出すといった対応が考えられます。
3. ②刑事責任の追及について
(1) 当該従業員の行為が、刑法(Indian Penal Code)その他の法令に規定される犯罪行為に当たりうる場合には、刑事責任を追及することが考えられます。従業員の不正行為は会社に対する詐欺や横領といった犯罪行為に該当しうるため、会社側は、これを警察に告訴し刑事訴追及び罰則の適用を求めるかについても、検討することとなります。
(2) 刑事責任の追及、すなわち会社として告訴を行うメリットとしては、まず、当該不正の事実について適切な捜査がなされることにより、疑惑や被害の全容が明らかとなる可能性があるという点があります。これにより、社内の他の共犯者や、不正に関与したベンダー等が発見され、社内の浄化が進むことも期待できます。他の従業員に対しては、会社としての厳しい姿勢を見せることができます。
また、当該従業員との関係では、捜査及び逮捕を恐れた従業員側が、被害弁償及び和解を申し出てくる可能性があります。警察としても、告訴が取り下げられればそれ以上の捜査が不要となる面もあることから、当該従業員に対して被害弁償するようにプレッシャーをかける場合もあり、相当のプレッシャーがかかることが予想されます。
(3) デメリットとしては、警察が必ずしも適切な捜査をするとは限らないということが挙げられます。インド国内においては、地域によって警察の捜査能力や規範意識に差があり、告訴さえすれば適切に捜査をしてもらえるとは限りません。
弊所の対応案件においても、しっかりと捜査をしてもらうために継続的に働きかけを行う、警察OB等の有力者を介して重要な事件である旨を認識してもらう、等のアプローチを取ることもあります。
また、仮に適切な捜査が行われたとしても、警察署への呼び出し等により時間を拘束されるという懸念もあります。実際に捜査となった場合には、言語の問題もあるため、事情をしっかりと説明できる現地スタッフがいることが望ましいでしょう。
4. ③民事上の責任追及について
従業員の不正行為によって会社が被った損害について、民事責任の追及、すなわち、対象者に対し損害賠償を請求することも考えられます。この際、対象者の財産について把握できている場合には、仮差押え(Injunction)を行うという方法もあります。但し、日本と異なり、仮差押えと同時に訴訟提起もしなければならない点には注意が必要です。
民事訴訟を行うメリットは、損害について、強制的な回収が可能となる点です。差し押さえが奏功した場合には、最終的な損害の回収も期待できます。
もっとも、インドの裁判は非常に時間がかかるため、判決を取得して実際に回収するまでには長い時間とそのための弁護士費用がかかるというデメリットがあります。前述の差し押さえができなかった場合には、勝訴判決が出ても回収ができない事態に陥る可能性も相当程度あります。
民事訴訟の実効性については、慎重に判断すべきであると考えます。
5. まとめ
不正の事実が明らかとなった場合、当該従業員を退職させれば足りるものではなく、前述のような取締役の責任や会社としてのコンプライアンス遵守の観点に照らし、刑事上の責任や民事上の責任追及についても検討しておく必要があります。いずれの責任も追及しないとの最終判断に至った場合でも、事後的に「犯罪行為を知りつつ告訴しなかった」、「会社に対する損害を認識しつつ、これを追及しなかった」等と指摘されることがないよう、取りうる手段を検討しておくことが重要です。
いずれの場合でも、徹底的に調査を行って事実関係を明らかにした上で、対象者の責任をしっかりと追及するという会社の姿勢を示すことをお勧め致します。
*1
但し、同法に関しては、他の法令と統合されて、2020年労使関係法(Industrial Relation Code)が制定されています(施行時期未定)。